WUGアニメが不完全である理由




WUGアニメの完全版が欲しいという人がいる。
ライブシーン完全版があれば、と思うことは私もたびたびある。


WUGのライブシーンは曲の途中で終わってしまったり、




WUG以外の登場人物がライブを行うWUGを見ているシーンが入ったりする。



そこで、どうしてもアイドルを題材にしたアニメとしてライブシーンを求めてしまう。





前々からWUGのライブシーンがない理由は考えてきた。

かつて、WUGの主人公はWUGだけではないと書いた。


劇場版WUG 7人のアイドル 考察(1)この話の主人公は

WUGの関係者や、ファンもWUGの主人公であるということ、これは間違っていないと思う。

WUGというアニメは、兎にも角にも不完全で未完成だ。





不完全で未完成。答えが用意されていないということは、

受け手、この場合はファンや視聴者がそれぞれの答えを持つことになる。

それぞれの答えとは、それぞれの物語であると思う。

そこで生まれた物語は、押し付けであったり、都合がよかったりもするけれど、

発信者が終わりから最後まで全部の解を用意した物語ではない。

受け手の解釈が入ることで完成するものだ。



これはファンとアイドルとの間に物語が生まれるのと同じ構図に見える。



「アイドルはね、物語なのよ」





物語がなければ、それを作るファンがいなければ、

アイドルの物語は始まらない。

解釈の余地があること、

つまり不完全で未完成であることが、

WUGアニメを他のアイドルアニメと違うものにしている。

アニメで描写されない画面の外の太田さんもWUGという作品の主人公の一人なのだと思う。

それはWUGらしさの一つだ。




今年中にはWUG新章が始まる。

監督が変わった。そういう部分がなくなってしまうかもしれない。

どうなってもアニメのWUG、声優ユニットのWUG、両方のファンでいたいし、いるつもりだ。


「変わったところもあるし、変わらないところもある。それでいいんじゃないかな」

WUGカテゴリの記事は他にもありますので、よろしければ。

画像は本編よりお借りしました。










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